AIの応答の違和感に気づけない人の「AI使用の危うさ」について

URLをいただいても、その元のページは読めません
最近SNSで「ChatGPTにURLを送れば、WEBページを分析して、記事やLPの改善点を指摘してくれる」といった投稿を見かけることがあります。
しかし、これは半分上の誤解、あるいは、頻繁に再用されるデマ情報の再発でしかないと、僕は思っています。
お恥ずかしい話。実際に、僕自身もChatGPTにURLを送り、内容を読んでもらっているつもりになっていた時期があります。
しかしある日、どうしても言ってることとページの内容が合わないと思って、AIにしつこく問い返しをしてみたんです。
すると、こう返ってきました。
AI:「URLをいただいても、その元のページは読めません」
・・・衝撃でした。
でも実は、これは当然の仕様なのです。僕が知らなかっただけ。
- セキュリティ上の制限
AIが無断で外部サイトを開くことは、悪意あるリンクを踏むリスクにもつながるため、仕様として制限されている - プライバシー保護の観点
アクセス先がログイン必須の会員ページや個人情報を含む場合、それをAIが自動取得することはプライバシー侵害の恐れがある - 著作権の尊重
WEBページの内容をAIが勝手に取得・再利用することは、著作権法に抵触する可能性があるため、許可のない読取は回避されている - 技術的な理由
動的なJavaScriptで生成されるページやログイン制限のあるページは、そもそもAIが構造的に正確に読み取ることが難しい - 一部の有料プランや連携サービスのみ
URLの中身を読める場合もあるが、それは別の設計に基づくものであり、通常のChatGPTとは異なる
AIは、これまでずっと、送られてきたURLのページを読めている「てい」で、それらしく答えを「創作」して答えていたのです。
その点について疑うことなく読めているものと信じきっていた当時の自分には、大きな打撃でした。
でも、よく考えれば自然なことでもあります。
AIは「喋り相手に欲しい答えを与える」ために作られているからです。
そのために「それっぽい答え」を創作するのは、ある意味で機能通りなんです。
ただ、そのことを知らず、まるで「読んだうえで評価してくれた」と動じるような使い方をしている人が世の中に多いことにも怖さを感じています。
SNS上で、「ChatGPT URL」で検索すると
- 「バズった投稿のURLをChatGPTに送って、『自分バージョンにリメイクして』と指示すれば、簡単にオリジナル記事が作れる」
- 「LP(ランディングページ)のURLを貼るだけで、無料で訴求力や構成を診断してもらえる」
- 「AIにURLを送れば、勝手にページを読んで“魔法の改善案”を提示してくれる」
そんなふうに、まるでURLを貼るだけでAIが“すべてを理解してくれる”という前提で語られた投稿が、何百件、とシェアされリポストまでされているんです。
もはや「AI先生に見せれば何とかしてくれる」的な、“都合のいい万能感”に依存しているような印象すら受けます。
あえて、繰り返しますが──
AIはURL先のページを、読めません。
見たつもり、それっぽく指摘したような回答に見えるのは、全て、わたしたちが与えた情報の範囲で「この人は何を言えば満足するか」を推測して創作しているだけなんです。
URLの先に限らず、AIは、欲しい情報を創作して回答するんです。
そして、その回答は100%正解とも100%事実とは限りません。
AIは便利ですが、万能ではないということを、頭の隅に置き、「自分で考える」ことを放棄してはいけないと思うのです。
AIは自分で考えることをやめてしまう為の道具ではないはずです。
あくまでも補助なはずです。
無意識のうちに自分で自分を思考停止に追い込んでいる現代
前述の誤用(URL入れれば答えてくれる)を作っているのは、発信者よりも「思考停止した反応リポスト社会」だと僕は思います。
表面的には「すごい!」と”反応”してリポストやシェアをしているけれど、実際には内容を深く理解していたり、本当に驚いているわけではない社会のことです。
情報に対して深く理解し考える前に、押す指(リポスト)のほうが先に動いてる人が多いこの社会は、AIリテラシー以前の“思考リテラシー”に乏しくなっているように感じています。
AIだけでなく、すべてのインターネットツールに言えるのは。「ただ便利なもの」として使うのではなく、ちゃんと「何のためのツールか」「誰のための言葉か」を深く理解しながら使うことが大事で、思考を停止させて、どんどんバカになっていくために使っていくものではないと思うのです。
昔のセリフで言えば、
「テレビばっかり見ているとバカになっちゃうよ」
が、今では
「SNSやAIばっかり使っているとバカになっちゃうよ」
に置き換えられる通り、テレビもSNSもAIも決して悪ではなくて「使う側」に問題があることを他責にしているに過ぎないと思うのです。
思考停止は、誰かのせいじゃなくて、自分の「姿勢」から始まる。
AIもSNSもツールでしかなくて、それをどう使うかを決めるのは、いつだって自分自身なんだと思います。
ちょっとした違和感を見逃さずに「ほんとに?」って一度立ち止まってみる。
「疑う」のが苦手な人は「注意を払う」だけでもいいと思うんです。
それだけで、情報の波に流されずに済むかもしれません。
ネット詐欺にも遭いにくくなります。
いかがでしょう?
このコラムが、あなたの中に“なにかひとつでも”引っかかるものがあったら嬉しいです。
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