自分の似顔絵すらAI生成で描けなくなる時代に、僕らは何を創るのか。

2025年4月「ChatGPT無料版でも画像生成ができるようになったよ」ってなって、SNSでは沢山の人がジブリ風、ディズニー風の似顔絵をアップしだすという現象がおきました。
しかしそれも束の間、1ヶ月も経たないうちに、規制が入りました。(4月25日ごろから)

実在の人を真似たりする画像を作ることに、より嚴しいルールができたようなんです。

例えば、過去の偉人や、現在の有名人を真似した画像。ジブリやディズニーのような著作権を思わせるテイスト。
そういったものがこれからは難しくなりそうです。
自分の写真で自分の似顔絵さえ作れなくなってきています。

試しにやってみたらこんなレスポンスが返ってきました。

誰かの似顔絵自体は今まで自分で描いてきた経験もあり、スマホ用の写真アプリなどを使えばで、画像を使って似顔絵風にできる手段はあるものの、これからは「不便になるだろうな」と思いました。

でも、よく考えてみると、この規制は当たり前のことなんですよね。

人のプライバシーや著作権を大切にすること。
他人の努力や生き方を、むやみに侵さないこと。

それは、自分たちが大事にしたい自由な発想やアイデアを守ることにも繋がっています。

たしかに、限界はときに「自由を奪われる」ように感じることもあります。
こんな表現もだめなの?これぐらいいいじゃん!と思う時もあります。
プロンプトの入力技術(言語選び)で、規制を潜りながら作ることも可能でしょう。

しかし「まあいいか」ですませない自分でいたいなと思いました。

稼げればいい、ばれなきゃいい、なんでもいい――
そんな発想は、回り回って、結局は自分にも痛みとなって返ってきます。

自分が少しでも疑問を感じたら、そこに向き合う。

そうすることで、世界にも自分の作品にも、負けない自信を持てるようになると思うんです。

制限は、自由をさえぎるためのものではありません。

もっとクリアに、もっと細やかに、自分だけの発想を、これからも世界に残していくための道しるべなのだと思います。

みんなが小さなゴマかしをせずに、大切なことを大切にしていけたら。
すこしずつでも、よりよい世界ができていくはずだよなって思うんです。

プライバシーを守りながら、自由も負けない。
そんな道を、歩んでいけたらいいなと思っています。

けっして大げさではなく、今日も、ただ正直な気持ちで、書いてみました。
デザイン(設計)をする楽しさを味わいながら・・・。

いま制限されるのは、自由じゃなくて「倫理なき自由」かもしれないですね。

あなたは、AIとどう付き合ってますか?